奇跡の軌跡
渡辺一正
「奇跡だ」「よくここまで」と発症当時を知る人は勿論私の主治医までが驚いた。
「リハビリは大変だったでしょう」とよく聞かれるが、私自身は大変とも苦痛に感じたこともなかったし、決して「奇跡」が起きたとも思っていない。
必ず回復するとの信念を持ち続けていたので、右手の指・手首そして右足首が全廃と診断書に書かれても、そんなはずはないとの思いが強かった。
脳卒中になるとダメージを受けた部位は死んでしまうが、その周辺の生きている脳のネットワークが繋がることにより、その脳の柔軟性・多様性が、救ってくれるとずっと信じてきた。
但し不安といえば、どんな書物を読んでも何時、どのようにしたら、そのネットワークが繋がるのかについて触れたものがなかったことである。
1年で繋がるのか、5年かかるのか全く判らない。ただやるしかない。前人未踏の、頂上の見えない険しい山に登る思いだった。
一歩一歩着実に前進するしかない。うさぎと亀に例えれば、亀になる。飛躍的に改善するものではない。
そして右手の親指に動きが出たのは、発症から2年半過ぎてからだった。あの時の喜びは、健常者には到底理解できないものだろう。
この時のために、指が拘縮しないように、暇があれば左手(健常側)で、右手の指を曲げたり、反らしたり動かし続けていた。
親指に続いて、小指・人差し指・中指・薬指が次々に動きはじめた。掌を閉じたり、開いたり、全ての指を開いたり色々な動きが半年くらいの間に出来るようになっていった。
それまで年単位の変化だったものが、これ以降月単位での変化にスピードアップした。一度脳のネットワークが繋がるとしめたもので、それ以降は2x2=4に、4x2=8に、8x2=16・・・・と倍々でネットワークの密度が濃くなり、かつスピードアップしていった結果だと思う。
発症後両手にナイフとフォークを持つ洋食は苦手になっていた。それが、右手にナイフを握り、肉を切ることができた時は、周りの人もビックリしていた。
また電車の中では、右手でつり革につかまれるようになったので、多少混んでいても立つ事が苦にならないで乗れるようになり、通勤に負担がかからなくなった。
4年目には、自転車に乗れるようになった。三輪ではなく、二輪の24インチ自転車だ。その1年前にトライした時は、みごとに失敗していた。左右のバランスがとれず、右サイドに力が入りすぎるため、右に傾いて倒れてしまう。その時、右手をハンドルから離すことができず、右足もペダルから離して地面を踏ん張ることもできなかった。
このことには、痛み以上に精神的に大きなショックを受けた。ただ立ち上がりも早かった。エアロバイクを買って、漕ぐ力をつけることと、右足の内反足を直すことに努めた。左右のバランスにも注意した。更に、右足を踏ん張って体を支えられるように、左右に敏速に動く訓練もした。
そして、1年後に再チャレンジして、一度も転ばずに乗りこなすことができた。
こうして、一歩一歩着実に階段を昇ってきたがこれは脳からの指令が出て初めて可能になるわけだ。 脳のネットワークが機能して、脳からの指令が手足の末端に届き始めるまでに要する年数は人によって個人差があり、またダメージを受けた部位によっても異なってくる。
発症から1週間で動き出す人もいるだろう、動きだす人の多くは6ヶ月までに動き出すが、それ以降は極端に減るのが現実だと思う。
しかし私のように、2年半経過してから動きが出始めるケースも実際にある。決して「奇跡」でも「例外」でもない。ただ普通のケースより時間がかかっただけだ。
私は提案したい。リハビリを画一的に行うことはやめて、ダメージを受けた部位とその程度にもっと着目して、個人毎にリハビリに要する年数を推定して、木目細かな対応が出来る体制の確立ができないか。
リハビリにMRI画像を活用して、発火している部位の変化を時系列的にトレースするなど、もっと科学的手法を取り入れる必要がある。
とにかく、医者から「6ヶ月過ぎると回復は難しい」と言われると、患者にしてみれば死亡宣告に等しい衝撃を受けるもの。そして、リハビリに取り組む気力も萎えてしまう。
むしろ、「あなたの場合は3年以上かかります。その間焦らず、息長くリハビリを続けることが必要です。できますか?」と言われればいやでも続けると思うのだが・・・・。
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