和尚さまのひとこと

田辺光世

 私が、生きるという事に自信が持てたのは、一年前(2000年3月)のお彼岸の入りの日。

 夫の両親の回忌供養に、和尚さまのお世話になった時の事です。お出迎えに出た私に、「奥さん、良くここまで克服なさった!ここまで来るには、それはそれは他人(ひと)に言い知れぬご苦労があったのではないですか?偉いなあー偉い。頭が下がるよ。」と、言いながら本当に深々と頭を下げてくださった和尚さまに、私はこれまで六年間の辛かった事、悔しかった事の全てを水に流し、この人(和尚)さまにだけ、分かって頂ければそれだけで十分だ。皆に理解を求める方が無理だと思った私は、その日実家の母(93歳)に、
「今日ネ!和尚さまが『良くここまで、克服できた』と、言ってくれたヨ。」と、話したところ、母は、ホッとした表情で
「それは、良かったネ!人の最期を導くお人が言ってくれたんだから、間違いないヨ。良かったネ!良かった。」と、言ってくれました。

 私は、これ以上の味方は無いとばかり、本当に心の底から嬉しく思いました。

 この日を境に、私は何事も「前向き」に考える様になりました。

 又、それはある種の自己主張だったのかも知れません。私のこれからは、自分の体験を生かす為にまず、人の中へ入って行こう―――。

 何と、タイミングの良い事か「年度始めとあって」広報紙面に「生涯学習」と銘打って、富士市・教育委員会主催のいろんな講座生を募集していたのです。その中から、市民大学「司会者育成講座」を受講する事ができ、夫が送迎に協力してくれたおかげで全講座出席でき、修了証書を頂きその後も、OB仲間と共に講師の氏名の一文字から直会(司会者育成同好会)のメンバーの一員として、月に一度の勉強会に出席するのが唯一の楽しみです。

 講師の杉山先生から学ぶ「人前で話をする」「話を人に伝える」とは、どういうことなのか、笑顔づくりから、視線、声のトーン(迫力や説得力)間の取り方等々を学んで参りました。

 発声練習は、基本中の基本にもかかわらず、私は、何と愚かだったと勉強が始まってから気付いたのです。日常生活は、自然体で話せますから不自由とは思ってもおりませんでしたのに、発声、発音の正しい出し方となりますと私の様に半身マヒの体には、声帯が思う様にならない事を改めて痛感し、その夜、愚かな自分に腹立ちながらも、でもやりたい。やり通してみせる。先生から(田辺さん、無理の様ですネ!)と、言われたら止めよう。それまでは、何が何でも自分から止めない事だと誓いました。

 忘れもしません。二回目の講座は、「自己紹介」で、一人二分間の持ち時間。

 私は、一週間、原稿用紙に一応まとめ、私なりに勉強して出席したのにもかかわらず、皆さんは現役のサラリーマンと、若い女性達ですから、それなりに自己ピーアールも上手です。

 私は、職場を離れた6年間のギャップの大きさに、せっかく暗記した原稿内容が真っ白になってしまい、どうしよう!どうしようで前に立ちました。そこで私の一声―――。

「皆さんが、余りにもお上手ですので、私も原稿は書いて参りましたが、ここは思いつくまま、私の『脳卒中体験談』を聞いて下さい」と、倒れた瞬間から、この病の不自由さを話し終えた時、講師から「田辺さん、原稿見なくて正解。体験談だから、迫力や説得力があって凄く良かった。」と、寸評を頂き何か迷っていたものがふっ切れた思いでした。

 短文では、デモンストレーション。如何にして、お客様の足を止め、買ってみたくさせるとか。これは、表現力やセンスも要求されました。

 長文になりますと、皆様は原稿を手にして読めますが、私は原稿に目を落とすと声が良く通りませんから、丸暗記するしか方法がありません。鏡の前で特訓でした。努力の甲斐あって、この発表も講師から、「どうして、こんなに上手になったの?」と、言って頂くことができました。

 どんなに努力しても、半身マヒの体では、絶対不可能も知りました。それは「セレモニー」。厳粛であるだけに、姿勢は絶体絶命。声のトーン、これも至難の業。

 この病気がにくい。

 でも、この病気になったからこそ、健常者で生きた 年間よりも、倒れて6年の歳月の中で、命の尊さ、強さや優しさ。挑戦する事や、創意工夫。何よりも「感謝の心」が身についた事です。

 今、私の夢は講師について、話し方の基本を学び、自分の「脳卒中体験談」を多勢の人に聞いて頂き、この病にご理解を広めて行くボランティア活動がしたいです。 完


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