脳卒中後の私の人生
大堀シヅエ
私は、平成八年十一月三日、脳梗塞を発病、緊急入院し、その後遺症の為右半身麻痺がのこり、発病後人生の大半を勤めさせて頂いた大好きな職場を退職、たった一人の家族であった主人も平成十一年亡くし独りになりました。
昭和五十一年、一人息子を五年間の闘病の末、なくした時点で、老後は独りになると、覚悟していましたが・・・
さて現実に独りになってみると、どうしようもない程の寂寥に苛まれる日々が続きました。
幸いヘルパーさんの助けを受け、左手で何とか一人、家で生活が出来るようになって、今後の生き方について、試行錯誤のもどかしい毎日を過ごしていました。
健常な方の様に出来なくとも、左手で食事や雑多な家事を、友達やヘルパーさんに助けられ一日支障なく過ごせた日は、生きていて良かったと満足し、感謝の日々を送り乍も、新しく、挑戰を求め種々のメディアに、目を向ける日々の、ある日、リハビリに通院している病院で、見つけた六十才以上の人達を、対象とする大学(京都SKY大学)の入学案内書が、私の老後の生活を一変させて、くれることと、なりました。
短期の研究会と異なり、一年ずつで、学校形式になっている、入学式・卒業式とはっきりけじめがついている、何より嬉しかったのは科目の中に、文学・歴史コースと、教授名、内容の提示が出ている事だった。
大学は若い時、学徒動員で一年しか行けなかった。生涯学習で、七十過ぎてから、通学出来るとは考えても見なかった。
しかし今の体力で受入可能か、一人で週一、二回、通学出来るのか、場所、交通などなど、クリアーしなければならない問題が一杯ある。
早速友達のTさんに付き添ってもらって下調べに出かけた。
交通の便、家からの所要時間(着替えや準備に時間がかゝるのを見込む)学校の門内に、タクシーで教室の前まで、入れて頂けるか、実際に車を使って学校側の反應は、雨天は傘が使えない、左手での筆記は、トイレの場所・構造など、すべて何とか出来そうでした。最後は病院で、OT(作業療法士)の先生に相談してみた。
ところが私が呆気にとられる程大賛成された。
「しかし団体行動の時は皆さんの邪魔に、ならないか、それが心配で」と本音を云うと、
「その時はその時考えたら良いがなー」とまるで背中を、ポン、と押された様でした。
申込書を出した時は〆切ギリギリ、七月も終わりの蒸し暑い日でした。
申し込んだ、それだけですっかり満足して後は運を天にまかし、前に進むだけでした。
念願の文学歴史コースの、入学許可証を手にした時は、感謝の気持ちで一杯でした。
あれから言葉通り、至福の時間の四年間を、過ごさせて頂いた事は、生涯忘れられない程の思い出となりました。
今秋五回目の入学に際して今後の目標や、生き方を、思考する日々です。
病後落込まず「自分らしい生き方」をめざして、前向きに生活して来られたのは、勿論ヘルパーさんや、私を支えて下さる皆さんのお蔭と思っています。
不自由な体の私が、食事の用意、病院への通院、通学とヘルパー活動を受け乍も、何とかやって来られたのは、多忙な時こそ、目標や計画を、しっかり立て、月予定、週間予定を、カレンダーや手帖に色別に記入し、家計簿を参考に、夜は翌日の予定を考え準備し、体調の変化に気をつけながら、予定通り出来ない日があっても、ストレスをためず、毎日をたのしく送る様にして居るからだと思います。
今の私の癒しは、読書と、キーボードです。毎日時間をきめて、ゆっくり楽しむ事です。
特にキーボードは左手指、五本と右手小指一本とで計、六本ですが、右手が動かないので、自分流で左手メロディーを、右手小指で、伴奏らしき音を出しています。
病気になる前より時間があるので、落着いて楽譜も読めます。好きな曲なら自由に鳴らせます。
テレビの、み方も、音楽番組など注意して聞いているので、新曲の楽譜を探しに行ったり、独りで笑ったり、歌ったり楽しい時間を過ごせます。
生かして下さる神仏や、お世話になっている皆様に感謝の、有り難い毎日で
「脳卒中後の 私の人生に乾杯」です。
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