すべてに感謝

仁科やよひ

脳梗塞発病以来四年。ここまでよくなれたことを嬉しく思う。

左足はややひきずるが、行きたい所へは臆せず行く。杖がなくても歩けるが、美しく歩くため、疲れないために杖は常時使用している。

 足よりマヒのひどかった左手は、六〜七分の快復と思われる。右手が手伝わなくても自主的に、動き、働き、動きがややぎこちないぐらいである。

 しゃべりづらかった言葉、話。

これには並々ならぬ努力をしている。

電話で話すのも苦痛。遠くの人に大声で呼びかけることも出来ない。歌が好きだったのに歌を忘れたカナリヤになってしまった。詩吟が趣味なのに詠じられなくなってしまった。これらすべておなかの中から声を出さないとだめだと病気をして初めて知ったのである。

 腹式呼吸で声を出す。

 腹筋までが弱りコントロール不能に陥っていたので、それらが全て出来なかったのである。

体力がついてくるに従い腹筋もがんばり出し声が出るようになり、少しずつ健常な状態に近付いてこれたと思う。

趣味だった詩吟には健康な人達の中にまじり以前のうまかった自分を忘れて新たな出発をし、励まされつつ挑戦している。

 新たに語りべにも挑戦。悪くなった頭に昔話等を覚え込ませ、お客様の前で語り聞かせる。自分は病気をしたから下手でいいと思いたいところだがお客が許してくれない。お客は老人ホームの方とか話を聞くのが好きな子供たちである。

語りべのグループの人達はハンディのある方もいるが、セミプロほどのうまい人もいる。皆同じラインで発表するので自分が下手ではお客に失礼になるし、我ながら口惜しい。

各々個性的に一生懸命発表するしかない。努力なしでは進展はない。しかもこの語りべのグループの代表を務めている私なのである。難しいからと言って逃げられない立場に自らを追い詰めている私である。

 リハビリのOB会にも所属し、積極的に活躍している。

会の幹事として立案、実行、そしてコーディネーターとして会のお世話をしている。

常に独走しないように気遣いつつ会を運営している。人の前で話すことに一番努力する私である。

偶然同病者に出会った時には私達のOB会に入られる様お薦めしており、何人か入ってくださったことは嬉しいことである。

 私には九十二歳の母がいる。九十一歳まで気丈に一人暮らしをしていたが、高齢故に心配で一年前、夫と共に一緒に住むことにした。一緒に暮らすには幸い部屋もあり母の環境を大きく変えないという母への思いやりから私達が母の家に入ることにした。

そして母をヘルプするのが私の務めである。発病以来三年経ち辛うじて母を助けることが出来るようになっていた。

先ず家事、そして入浴介助等。

ただ体を支えてあげなくてはならないときは共倒れする危険があるのでその時のみ夫に助けてもらう。

夫に大きく支えてもらっていることは、夫の年金による経済面。母も年金生活であり助け合ってムダなく生活することが出来ている。

 母の内臓は元気でとても有難く思っているが、足が弱ってきており医者通いは私が車イスを押してヘルプしており、そのおかげで私の左の手、腕の力がついてきて感謝、感謝。

 そして中腰で草抜きが出来るようになり庭の雑草と時折戯れている。

 もしも発病しなかったら私の人生は全く違ったものであった筈。

 脳梗塞になるよりはならない方がいいのは当たり前であるが、なった以上は素直に病気を受け入れ、これからの人生を積極的にそしてすべてに感謝の気持ちを持って強く明るく生きてゆこうと心から思っている。

 感謝あるのみである。                           終


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