失語症と闘いと友の会と

松岡孝一

 脳梗塞の後遺症として失語症になってしまいましたが、言語聴覚士先生(ST)に「私のパソコン」を書いたらどうかと勧められました。これがもの凄く訓練になりました。

1 言語訓練とパソコン

 平成9年は、私の県職員として最後の締めくくりの年でありましたので、パソコンを新しく購入して、第二の人生に役立てようと意気揚々としておりました。

 ところが、同年9月7日突然、脳梗塞を発症し、言語障害(失語症)になってしまいました。しかし、この後のリハビリに、パソコンが威力を発揮するとは思ってもいませんでした。

 発症してから5日間くらいで、主治医にパソコンを使いたいと希望し、発症後1週間でパソコンを使用してよいと許可をいただき(家族の話では「時々目を開ける程度だった」とのことです)、電源を入れてマウスに触れることから始めました(その時の状況を、娘は「マウスの使い方は、体で覚えているようだった」と言っております)。

 そして、9月30日頃から文字入力を始めましたが、半日がかりで名前の4文字を入力するという状況でした。

 11月5日から言語訓練を受けるようになり、徐々にパソコンを使う時間が増えていきました。

 まず最初は、住所録を作り始めましたが、1日に2人〜3人のデータを入力するのがやっとでした。言語訓練のための文字等についても、早く言葉ができるようにと、朝から夜まで練習しました。

  月末には約250人分の住所録のデータ入力が終了しました。

 最初の頃は、パソコンの文字一つ一つが難しく、入力できないこともありました。「あ」と「お」、「む」と「ぬ」、「さ」と「そ」の違いが分からないと言うこともありました。言葉が分かっていても、その言葉を口に出せないことがあります。そんなときパソコンで思い浮かべている単語を入力して漢字変換していくうちにその言葉が、発音できるようになることがしばしばあります。

 例えば、7月4日ゴルフのスコアが、病後、初めて100を切りました。その時、非常に嬉しく、これでやっと体力的、精神的に病気を克服できたと心底から感激しました。

 しかし、この「克服」と言う意味は、頭の中でイメージできても「こくふく」と言う単語が思いつきません。どんなに思い出そう、イメージしようとしても単語が出てきません。やっと思いついた言葉が「こくはく」でした。しかし「こくはく」と入力しても、自分のイメージしていた意味の漢字が出てきません。何回も何回も入力してみますが、出てこないのです。

 そんなとき、スコアがやっと100を切ったことが嬉しく、娘に電話しました。「お父さんね、今日のゴルフでスコアがやっと100を切った。これで本当に病気をこ・く・は・く出来るように思う」と言うと、娘が「こ・く・は・く?‥‥こ・く・ふ・く、じゃない 」と言うのです。

 そうだ「こくふく」だったんだと、急いでパソコンに向かい「こくふく」と入力してみました。すると、漢字変換した「克服」が出てきたのです。

 このように、パソコンは、私の言語訓練に非常に役立っています。パソコンで日記を付けたり、家計簿をつけたりすることで、私自身の言葉の訓練になっていることは確かであろうと思います。

2 私の生き方・希望

 サムエル・ウルマン(詩)の「青春」の中で、「青春とは、人生のある時期ではなく、心の持ちかたを言う。バラの面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。」(作山宗久氏 訳)といっています。私も、いつまでも、いつまでも、情熱を保ち続けていきたいと思います。

 現在、私は、身体は完全に回復し、かえって元気になりました。後は、早く言語障害を克服することだけです。そして、情熱を持ち続け、もうしばらくは「世の中の役に立ちたい」「脳卒中の病気の知識の普及の手助けができれば」と考えております。

 倒れた後は、人生設計は狂い、仲間は離れ、世の中のことから遠ざけられ、おまけに言語障害では、その人の思いや心を伝えることもままなりません。

 私も同じですが、同じ境遇の人々が全国にたくさんいると思います。全国でもたくさんの「脳卒中友の会」や「失語症友の会」等があります。今後とも、同じ境遇の人たちが集う会として、また共通の問題解決の場・お互いの励みの場として「友の会」活動を続けていきたいと思います。以上


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