復帰への歩み(トイレへの挑戦)

荒川 勲

 「病状もほゞ安定し、再発の心配もなくなったので、一日も早く専門の病院でリハビリに励んだ方がよい」との担当医の意見で、リハビリ専門病院への転院となった。

 三月の日差しも暖かく僅かづゝではあるが、前途に希望の光がさしてきたように感じられた。

 翌日院長との面接、病棟の主任看護師と家族も一緒の合同面接である。

院長「患者さん本人は何の程度まで回復したいのですか」

私 「?・・・・・」

院長「例えば歩けるまでとか、身の回りのことが出来るまでとか」

私 「?・・・・・」

院長「いろんな患者さんが居り、中には無気力でやる気の無い患者さんも居ります。当院では本人の目標や心構えによって訓練の程度を考えるのですよ」

私 「100%、元通りになりたいです」

院長「えっ・・・それは無理でしょう」

私 「もし社会復帰出来ないなら、訓練しても仕方ないし生きてる必要もありません。先生はっきり教えて下さい」

 問いつめるような私の言葉に唖然とした先生の顔がとても印象的でした。

 やや暫くして

「地位や肩書きのある人は、若い看護師達に注意されると、すごく怒り出す人が居ります。貴方の性格は何うですか」

「はい 短気です。私は何としても社会復帰したい。職場復帰したい。その為なら何んなことでもする。性格も今日から変えます。何方でも私の悪いところは注意して教えて下さい。先生お願いします。」

 私は答えにならない返事をしていた。

 先生はおもむろに

「足は日常生活で毎日使うので、それが自然リハビリになり、介助器具や杖もあるので、何とか歩けるまでは回復すると思う。然し右手で食事をしたり字を書けるまで回復するのは困難と思われるので、今日から早速食事は勿論身の回りのことは全部左手でするように」

 と日常生活の心構えなど懇々と諭された。

 

 翌日ベッドで目を覚ますと、昨日の院長先生の声が耳元で囁く

「貴方はもう病人ではないのですよ、リハビリに来たのですよ。自分のことは自分でするように。然し全部左手でするように」

 暫く天井を見つめながらその言葉を反芻する。今一番回復したいのは?・・・「排泄だ」。

 前の病院でも食事中急に便意を催し、我慢出来ず、妻は同室の皆さんに平謝りに謝り、窓という窓は全部開け広げ、一分でも早く臭いにおいを出そうとするが、二月の風は冷たく窓は直ぐ閉じられ、臭いにおいは病室中に篭ったまゝとなる。恥ずかしくて私はベッドにもぐったままじっと耐えているだけだった。

 妻が不在の時、排泄を他人にして貰う恥ずかしさ、否屈辱、一日も早く屈辱から脱したい。

 妻は夜自宅へ帰り、翌日朝食前には出勤して来る。翌日から早速ベッドに起き上がったり腰掛けたりの訓練を開始した。

 そして数日後の朝、他の患者達で混み合う前にトイレに連れて行って貰う。抱きかかえられながら立ち上がる。妻がカーテンを閉めて出て行く。手摺りに掴まりながらゆっくり体を回転し前向きになる。トレパンを下にずらし少しづゝ腰を下げる。足の指先迄力が入り細かく震える。震えがだんだん上がって来て膝から身体全体に伝わる。体重を支えきれず!!ドダッ!!と便器の縁に尻を落とす。

 サッとカーテンを開け妻が飛び込んで来た。「!!大丈夫ッ!!」

 心配そうな妻の顔、お尻が半分便器の縁に乗っかかっているので床には落ちなかった。少しずつ腰を浮かして便座の真ん中に座り直す。

 朝の定期便がストーン・ポチャーンと心地よい音をたて、滝壷へ落ちてゆく。左手で紙取器から紙を巻き取る音がカラカラと心地よい。しっかりとお尻を拭いて立ち上がる。

 !!終わったよ!!

 自然明るい大きな声が出る。車椅子に乗り移り手を洗って廊下へ出る。廊下が広くなったような気がして「威風堂々」とした気分で病室へ帰って来た。

 

 かくして第一関門は無事通過することが出来ましたが、PTの先生から示された社会復帰への条件。一、自分のことは自分でする、人を頼りにしたり、他人の助けは借りない。二、横断歩道を青の時間内に渡る事と、歩道橋を渡れること。三、バスに乗れるか免許証があったら運転の練習をする。この三条件をクリアする為、又新しい挑戦が始まった。


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