悲しみよりも喜びと楽しさを求めて幾年月

西原隆重

 夢であってほしい・・。気がつけば脳内出血で病院のベッドの上でした。

 思い起こせば、平成六年十一月二十七日(日)軟式少年野球の指導者として来春の大会予選の球審をしていましたが、三回イニングの途中から左手に持っているはずのカウンターがなくてストライク、ボール等カウントできなく拾って何回かしているうちに呂律がまわらなくなり左手が痺れて挙がらなくなったので、控え審判の処へ行くとたまたま傍に居合わせた子供の看護師の母が私の様子を見て、早くすぐ近くの病院へと指示してくれたのです。

(五十三歳の冬でした)

 それまで私は、交代勤務のかたわら自治会等の地域活動にも忙しく、また仕事も残業等で遅くなりがちでしたが、疲れはお酒でまぎらわしていました。倒れる数日前より頭が重く肩こりがひどい日が続いていたのにいつものことだろうと安易に考え病院に行かなかったことが、悔やまれてなりません。

 車でS病院へ搬送されCT撮影で右脳の細い血管から出血しているとのことでした。その日の夜中に目が覚めたときには枕元に妻子とチーム代表と当時のマネージャーが心配そうに覗き込んでいるのを覚えています。それから三日三晩、監視つきの状態でベッドに縛りつけられて暴れていたのを教えてくれました。

 そして二十日間ほどたって動かせるようになったので自宅近くのM病院に転院する。

 年明けた一月十七日いつものように朝早く目が覚めてテレビを見ているとあの恐ろしい阪神大震災です。私の身体が浮き上がるしベッドが一メートル程移動するし。看護師さんが慌てふためいて大騒動でしたが、私は動けずマグロ状態で寝ているしか方法がありません。

 地震後落ち着いてから少しずつリハビリが始まり、最初は、平衡感覚を取り戻すことでした。

 どうして、神様が意地悪く私の身体に罰を与えたのか、ことあるごとに涙していましたが少しでも早く元の身体になりたくて、どうしても、子供達ともう一度キャッチボールがしたい、復職したい一心でリハビリの日々でした。

 平成七年三月三日に希望を持って県立総合リハビリテーション中央病院へ転院し、多くのリハビリ患者の中、両手両足のない人が義手義足で一生懸命に頑張っているのを見ました。

 こういった感動が、社会復帰できるだろうかと暗いことばかり考え涙に暮れていた自分への励みともなり、入院中のリハビリは毎日午前九時から昼食までPTの先生のストレッチと自主トレで自分に課したノルマでした。PT室内一周九十メートルを杖で一周から休憩なしで徐々に距離を延ばすことに気をつけて、一日一周と延ばしてゆくように自分のノルマと課しました。

 午後ОT療法ですが先生のスケジュール療法に従い十三時から十六時まで毎日左手療法に取り組む厳しい日課としました。

 入院三ヶ月目には訓練室へはエレベーターで降りたが、終われば自室の五階までは階段を上がって帰り途中で看護師長に会い怒られたが私は訓練だと毎日続けたものです。

 部屋の患者で歩いて入院したと自慢していたが訓練中休憩ばかりでしたので退院時は車椅子でした。やはり日々努力することが一番大事で必要なことであることが判ったと思います。

 入院中に友人も多くできていろいろの運動療法など話し合い励まし合いながらリハビリに励むこと四ヶ月で退院となる。

 主治医から週二回リハビリに通院すればよいと言われ家で一人テレビの晩をしているとマイナス思考で暗いことばかり考え涙ばかり流す毎日でしたが、ある日リハビリでお世話になったM看護部長に勧められ、これから毎日リハビリに通いなさいと云われて、最初は、妻と一緒にバス、電車に乗り通院リハビリ二ヶ月後、あとは一人で通院できるようになると、リュックに弁当を背負い雨の日も風の日も通うことで、運動療法や復職の悩み等話合う仲間もたくさんでき、楽しくリハビリに通うことで、八ヶ月目が過ぎると、平成八年三月職場の障害者の受け入れ準備も整い復職できました。

 仕事は元の課ですが、職場で使用する原材料の受け入れ業務で業者との折衝でした。

 県立リハビリ中央病院でPCをОTで習っていたので大助かりでした。

 通勤はバス、電車、通勤バスと乗り継いでいますが、通勤バスでは親切に席を譲ってくれる人は何人もいるが、一般の乗り合いバスでは考えられないことで、会社のHRC教育の成果だと思いました。ただ通勤に慣れて時間の早いバスに並んで乗車するとき、後部の空いた座席まで辿り着くまで、好奇と哀れみの視線に晒されるのは堪らなく嫌でした。

 その間、じっと待ってくれる運転手、いきなり発車する人もいます。通勤バスも、一般のバスも変わらず、障害者の利用しやすいバスとは何だろうと考えさせられたものです。

 そして子会社に出向して五年間、職場の上司・同僚にも恵まれ休むこともなく勤めあげることができ、平成十三年九月末で定年退職することが出来ました。

 その間、県立リハビリ中央病院で知り合い縁あって「あけぼの会」に入会することで、全国連合会友の会総会交流会旅行へ妻と二人で横浜、北海道、熊本、石川、長崎と新婚旅行以来妻に感謝旅行ができたことがとても嬉しい出来事でした。

 後遺障害者となっても、病後の介護に感謝し、残された機能を生かし、何事にも挑戦してきました。仲間と活動中に事務局長の大役を授かり会員のアドバイスを頂きながら、会活動や、休日には少年野球を通じて、逆に今では子供達に励まされ見守られながら楽しく地域の青少年の育成に微力ながら努力しております。そして、団地の自治会の監査委員として少しでも役に立てればと思い私を励まし、支えてくださった周囲の皆様に感謝し残された機能を生かし微力ながら努力致しております。

 そして「あけぼの会」では毎月第一・三火曜日に県リハのスポーツ交流館の増田体育指導課長の指導のもと健康体操でフライングディスクやボッチャ競技他に取り組み各種大会に出場し成果を上げています。また音楽教室やカラオケ教室も開講し好評です。

 パターゴルフ大会を昨春より開催し好評でしたので春、秋の定期大会を開催することに決定致しました。私自身も初心者障害者卓球教室に入会し毎週水曜日の夜間、県リハスポーツ交流館へ練習に通っています。今では仲間と一緒に練習出来る、毎週水曜日が待ち遠しくてなりません。

 このように充実した日々が過ごせるのも、「あけぼの会」をサポートしてくださるスポーツ交流館や県リハ中央病院の先生方や県リハ職員の皆様方及びボランティアの皆様のお陰と感謝し日々楽しく体力維持向上に励んでおります。


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