脳出血を乗り越えて…身体障害者になって

牧野真智子

40才の誕生日を過ぎた平成14年3月脳出血で倒れた私に続いて、主人もクモ膜下出血で倒れたのが2ヶ月後の5月で46才でした。

たった2ヶ月の間に夫婦ともども脳卒中となり私は左麻痺で1種2級、主人は右麻痺の1種1級の障害者になりドン底に突き落とされた様でした。

当時、家には子供達3人おり長女は高校3年生、次女が高校入学したばかり、長男も中学に入学した時でした。

私は、視床下部の出血であの世を行ったり来たりと妄想の世界で症状が落ち着いてからもベッド上に座る事も出来ない身体。支えきれない頭に周りが見えない目(左が0・02まで視力低下)が3ヶ月間のリハビリで思考回路もしっかりして来てОT・PTのリハビリも積極的に頑張りました。歩行訓練では『歩き方を忘れてしまったぁ』と言いながら訓練する程でした。

娘を前に歩かせ、足の運びを見ながら歩く練習したり平行棒で自主練習して姿勢や歩き方の工夫を自分なりに考えました。

主人がクモ膜下出血になって生死をさ迷っている事も知らずに…

主人は、朝起きた時自分の異常に気付き子供達に『救急車を呼んでくれ』と言ったそうです。救急車のサイレンが聞こえて来る頃には嘔吐、そして急にいびきをかき出したそうです。

病院に着いた時は、脳圧が高く開頭は無理でコイルで出血場所を止める処置をしICUに入り、先生からは『99%無理です。助かっても寝たきりか、植物状態です』と言われたそうです。家には子供達3人いるので、私の実家の母が来てくれていました。

母は私に、主人の話をどう切り出そうか迷ったそうです。

私の主治医に相談した所、『私自身のリハビリも始まり状態も落ち着いているので一日でも長くだまっている方がいいだろう』と言う事になったそうですが、主人の容態もいつどうなるかわからない状態だったので母は私に言うか言わずにいるかの選択に苦しんだそうです。

何も知らない私の顔を見るのは辛かったみたいです。

母から話を切り出されたのは、主人の状態も落ち着きクリップで再手術が決まった頃聞かされました。

私は、突然聞かされ言葉が出ませんでした。『何かに呪われているのか!悪い事なんかしたことないのに…』と涙が止まりませんでした。これから、生活をどうやって行こうかとそればかり考えていました。

退院の話になった時、主治医・看護師からは自宅での介護は無理と言われ病院・施設をすすめられました。子供達と相談した結果『家に連れて帰ろう。』と言う結論になり思い切って家に連れて帰って来ました。

ケアマネージャーを中心に、色々なプランを立てて頂き住宅改修をしたりと一年ぐらいかけ徐々に生活を軌道にのせました。

その間には、私と主人の障害年金の手続きなどひとりでこなしてきました。それは、私がしなければいけない状況におかれていたのですごいリハビリになったと思います。

家に連れて帰って来ましたが、障害者が障害者の介護をすると言う事は口では言えない程の大変さがあり主人は寝たきりで自分からの発語はありません。尿意・便意もわからないし言葉もオウム返しで意志疎通が困難なので、子供達の事などひとり背負うのは重荷で辛い時もあります。大変な事はおしめ替えで、私も片手なので、身体を横に固定する時など顎を使って固定したり私なりに工夫しています。

あまりにも右手を使うので手が痛くなったり腰が痛くなった時は、ハリ治療に通いながら看護を続けています。

移乗も、ベッドから車イスはひとりでも出来ますが車イスからベッドへの移乗は色々と試しましたがひとりでは無理なので子供達に手伝ってもらっています。私に用事があったり調子の悪い時は食事の介助など手助けしてもらっています。

子供達は私を障害者と見ていなく、いたわって欲しいと思う時がありますが逆にそれで私が自分自身自立し車イスから杖になり今では杖無しで生活出来る様になりましたが思う様に動かない使えない左手!!

落ち込む事も多々ありますが、自分の置かれている現実を受け入れ上を見てもきりがないし下を見てもきりがない。生かされた命、一日一日を大切に楽しく生きて行こうと思っています。

私は今までペーパードライバーでいたのですが教習所に通い運転する様になりました。それより、買い物など楽になり行動範囲も広くなりました。

障害者になってから、チャレンジのみです。出来ると思う事には挑戦してみようと思っています。

私は、障害者でもあり介護者と両方の立場から物事を見る事が出来ますが頑張ってもどうしようもない時は色々なサービス・施設を利用した方がお互いの為にいいと思います。

脳出血になり障害を持ちましたが、私にとって得る事の方が多くたくさんの人との出会いや人の痛みもわかり学ぶ事がたくさんあります。子供達にも、両親が障害者になった事によって心に傷を残してしまいましたが強く生きて行ける力を身につけて行って欲しいし人の痛みのわかるやさしい人になる様願っています。私にとってはいい経験です。

後向きではなく、前向きに生きて行ければきっといい事があると確信しています。


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