失語症合唱団のキャプテン
井上ちづ子
お父さんが大きな口を開けて歌っている。胸を張り、笑みを浮かべながら力強い歌いっぷり。こんな日が来るとは、あのとき家族の誰が予想出来たでしょうか。
発病は昭和六十一年十月十三日、五十三才の誕生日が過ぎて間もないときでした。病名は「脳動脈瘤破裂」、いわゆるクモ膜下出血といわれるものでした。八時間もかけて大手術を受けました。手術は成功しましたが、医者からは
「命が助かっても植物人間です。十日ほどがヤマです。残念ですが、99%は駄目でしょう。残る1%は家族で祈ってください。」
と説明され、私たち家族は祈ることしかできませんでした。
恐れていた「血管れんしゅく」が起き、何日も高熱が続きました。熱を下げるために体に直接エタノールをかけていたあの光景は今でも忘れることはできません。頭の骨は太ももに埋め込まれており、気管切開をして人工呼吸器をつけていました。腕や足、胸に何本もの点滴の管がつながれた状態で最初の十日間が過ぎていきました。
その後も何度か危篤状態をくぐりぬけ、一ヶ月、二ヶ月が過ぎ、ようやく頭の骨を元にもどしてもらうことができました。年末には救命センターから出なければならなくなり、十二月二十九日、人工呼吸器をつけたまま家の近くの桜井病院へ転院となりました。その日の診察でも、
「このままの状態が続きますね。長い目で見ていきましょう。」
と言われました。
正月の間も毎日病院につめ、一生懸命声をかけたり、いろんな話をしたりしました。毎日少しずつ目を開けている時間が長くなり、家族の姿を目で追うようになりました。かすかな希望の光が見えてきたようでした。毎日病院に泊まり込みの看病で、本当に無我夢中でした。少しでも口から食事が出来るようにと、アイスクリームや重湯を飲み込む練習をしました。また、少しでも足の筋肉を取り戻そうと、ベッドの上でのリハビリが始まりました。はじめの頃は、横たわったまま動かない手足を少し持ち上げたり、曲げたりするというような感じでした。
また、親戚、近所の方々、会社の方、お友達など、お見舞いに来てくださる方の名前が次第にわかるようになりました。右手に鉛筆が持てるようになり、少しずつ筆談でやりとりができるようになりました。春が来て、息子と娘の大学の卒業式にあわせ、初めて外泊させてもらいました。病院のベッドから、家のベッドへの外泊でしたが、そのときの嬉しそうな顔は今も忘れることができません。
それから半年あまりが過ぎて、言語訓練を受けることになり、桜井病院に入院しながら、国立奈良病院へ通院することになったのです。そこで初めて、脳卒中の患者の会である「桜の会」が出来たことを知りました。
退院してから入会し、会員の皆様に初めてお会いしたのは、発病から二年後、奈良公園で開催されたシルクロード博の会場でした。家から車椅子で出席し、楽しい一時を過ごしました。次はホテルでのグルメの集いでした。大喜びでジャケットを買いに行ったことを思い出します。この頃から我が家は桜の会中心の生活になりました。また、思い切って取った自動車免許のおかげで、行動範囲が広がり、いろんな所へ出かけられる様になりました。出かけた先々で多くの方との出会いがあり、いろんな話をさせていただくことでとてもいい言語訓練にもなりました。
そうして何年か過ぎ、桜の会の仲間も増え、行事も段々と増えていきました。その中に遠方から出てこられない方のため、桜の会の役員さんが出かけていく「出前トーク」がありました。そこで失語症のために言葉で自己紹介出来ない会員さんが急に歌を歌いだしたのです。そのことがきっかけとなり、失語症の会員さんで合唱団を作ってはという話が持ち上がりました。お父さんも、まだ桜井病院に入院していた頃から、リハビリのつらさを紛らわすために看護婦さんに歌を教えてもらっていました。そんなとき、会話の中ではっきりと発音出来ない言葉が、歌の歌詞になると発音出来るということがよくありました。
恵まれたことに、会員の息子さんの中にプロのピアノの先生がいらっしゃり、その方に伴奏を、またリハビリの先生に指導をお願いして、失語症合唱団は結成される運びとなりました。三十人の団員が、月に一度福祉センターに集まり、童謡やみんながよく知っている曲をみんなで歌いました。
初舞台は公会堂のレセプションホール、大勢の観客の前で堂々と歌いました。歌だけ聴いているととても失語症の人たちとは思えません。でも、名前を聞かれると、半分以上の団員さんが「えーと、えーと・・」なかなか自分の名前が言えないのです。それでも皆さん、にこにこと笑顔で堂々と歌いました。
そんなある日、NHKから話があり、テレビに取り上げてもらったのです。人間ドキュメントという四十五分の番組でした。撮影は大変でしたが、
「お父さん、歌ってよ」は、すごく評判が良く、全国の方から励ましのお手紙やお電話を頂き驚いています。
今も仲間が集まり、お互いに元気をもらっています。団員さんどうしだけではなく、練習に一緒についてこられるご家族の方とも友達になり、色々な話に花を咲かせます。リハビリの専門学校の生徒さんが見学に来られることもあり、団員さんも増えにぎやかになってきました。そんな中でお父さんは合唱団のキャプテンとして、元気いっぱいの笑顔で歌っています。
今のこの生活が、五年、十年と続いてくれる様に祈っています。もうすぐ発病二十回のお正月を迎えます。
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